お遍路 |
||
|---|---|---|
|
||
| スポンサードリンク |
HOME>お遍路道を歩く<リンクメニューお遍路の道、お大師様に導かれる同行二人の旅!■お遍路道とは? お遍路を辞書で調べれば、「祈願のために、四国の弘法大師の霊場八十八ヵ所などを巡り歩くこと」とあります。一人旅の究極に四国遍路の1,400Kmを走破目標に歩く人、愛する人を亡くされて供養のための同行二人、人生の節目に記念として、自分探しの旅として、信仰のため、煩悩の浄化のためと目的も様々です。 一人旅のほかに仲間で、ご夫婦で、ご家族で、講の方々と一緒にと、 お遍路で歩かれる人も多様です。お遍路コースは自家用車や単車、観光バスと交通機関もまちまちです。数十日掛け全札所を回る方、毎年期間やコースを決め回る方、観光バスで大まかな札所のみの方、納経帳の朱印のみ頂き単車で走る方、と色々です。 例えば歩き遍路の全行程は、1,200Km(最短近道、上手に選ぶコース)から1,400Kmはある。数百Kmの違いは、遠回りしたり道を間違えて重複経路を歩いたりの違いです。期間も平均すればおおよそ40日前後となる。その人の年齢、ペースや脚力、計画の立て方や札所の回り方、季節:天候、道行の人数で変わる。 一般に八十八ヵ所と言われていますが、番外のお寺を含めれば100ヵ寺に近いのではないでしょうか。番外の意味は今でも判らず、全国各地にある遍路八十八ヵ所も同じと思われます。納経帳に朱で押印 ・ 揮毫してもらうのが遍路の目的の一つである。 時には掛軸や経帷子(きょうかたびら)を持ち込む人もいる。 そもそも四国八十八ヵ所とは、真言蜜教を説かれ、天下三筆と讃えられ、古くから庶民の間で信仰の対象となっている。高野山真言宗の祖・空海様です。広く言われる弘法大師である。(弘法大師の称号は835年即身成仏ご入定の86年後、天皇に諡号を下賜される)それ以降にお大師様と敬愛されて呼ばれている。 ※諡号(おくり‐ごう)戒名である。私もいずれは本四国八十八ヵ所を生涯一度はお遍路にと願っていましたが、未だ実現しておりません。本四国は弘仁六年(815年)空海・四十二歳のときに開創されたといわれる。つい100年以上前までは大変な修行の霊場であったようです。本四国を結願すれば上がりは高野山です。 和歌山県高野山、山また山の頂上、蓮の花の真ん中のように頂上が盆地になっている。そこに数十の宿坊と大伽藍と町が在るのです。はじめて訪れたときは驚き、そして同時に比叡山や身延山を思いました。山上には全国の数多の大名の墓が延々と続く。私はとある縁で上がりのみ24回(25年間)参拝しました。 私は55歳から地元の愛知県知多半島の新四国八十八ヵ所を遍路している。各地にも八十八ヵ所の遍路道はあります。まず地元を回り、納経帳(写経を納めたり、心経一巻でも読経すれば写経を納めたことになり、寺の朱印:ご本尊の功徳を授かる)の仕方、般若心経ほか勤行一連の作法を修得して置くのも有意義です。 新四国八十八ヵ所は番外を含め99ヵ寺を巡る。私は自転車で1回、自動車で5回、徒歩で1回と計7回の遍路を経験している。10回結願で本四国にお参りしたいと願っている。こちらは本四国に山や海の景観がそっくりで、お大師様も修行をなされている。新四国の開創は江戸時代で、亮山阿闍梨と庶民の行者が尽力されました。 お遍路参りの良いところは、信仰に縛られないことです。人生の節目に生きる知恵を授かりたい、苦しみ悩みから活路を得たいときに歩くのです。無心に歩き、時には過去を振り返り自問自答する。結願までに答えは出ます。うちのカミさんは遍路が好きで、自動車では必ず同行する。遍路参りには夫婦連れも多い。 花遍路は特に団体や一人遍路が多くなります。歩くのは新しい景色の発見、人の温かみを頂き、無人の道中での問答、疲労するが充実感は堪らない。自然に涙が溢れる時もある。花や野山の美しさ、島への渡船、海の蒼さと爽快感、街道の佇まいなど魅了されます。喧騒のなくなった秋の海岸の静けさは心に沁みる。 |
|
| ■本当の信仰って? お遍路は弘法大師空海の足跡を尋ねること、1,300年近く庶民が抱いた素朴な思いが伝わります。今風の新しい信仰対象とは比較になりません。私はお遍路行を心の糧として大切にしています。心に迷いのあるときは隙間が生じます。弱い心や悩む心は自分で制御して強く鍛えることです。宗教の真贋を見分ける四つの鍵(作家:曽野綾子さんのお言葉)を参考にお読み下さい。そして強い心になって邪気を入れないでください。 @その教団が他者に入信と金を強制しないこと。 A教祖が神や仏の生まれ変わりだとか霊感があるなどと言わないこと。 B教祖と布教者が質素な暮らしをしていること。 Cその教団が病気の治癒や現世の幸福を信仰の代償として保証しないこと。 ■ばかだなと言われても 知多新四国の遍路でいつも感じることがある。それぞれのお寺には必ず墓地が隣接している。島巡りではお墓の中を通って行く事もある。遍路のお寺には戦死された方のお墓が如何に多いことか、水兵姿の写真が貼ってある墓碑もある。ロシア、モンゴル、中国の戦場から南太平洋の島々からアジアの国々と広範囲に亘っている。これらのお墓には本当にご遺骨は入っているのかと思う。無縁仏となって南の島々の洞窟の中で海の底で、未だに故郷や家族を想いながら眠っている方も見えるのでは無いだろうか? さらに日清・日露戦役の墓碑も多く、戦争のむなしさ悲しみが漂う。昭和の20年戦争だけでも幾百万の御霊が日本中の郷寺で眠っている。近隣諸国にも災禍を広げた戦争ではありましたが、戦場で空襲で無残に朽ち果てていった市井の人が無数におられます。自分の親類でも海や大陸から戻らない人、同学年では戦死・戦病死・空襲罹災で肉親を亡くされた学友も多かった。友たちは父の居ない戦後の悲惨な生活をより深く体験しているのです。国中に息子を亡くした父母達も居なくなり、兄弟たちもどんどん旅立ってゆく。 世界中で何と争いが多いことか、悲しい想いをしている母親がどれだけ居ることか、映像を見るだけでも辛い。「海ゆかば」を聴くたびに涙がにじむ、この歌で送られ夢も希望も無残に散らして行った若者が日本中に一杯いたのです。遍路では弘法様にお参りするだけではなく、これらの御霊にも合掌を忘れない。知らない墓碑には心情を掛けないのが通例だが、私にはそれが出来ない。せめて頭を垂れ国のために命を捧げられた兵士の方たちに感謝と敬意を払いたい。友の父親、叔父、伯父たちが居る靖国神社参拝は今後も続けます。 大東亜戦争も終焉に近い頃、私は物心も付かない赤子でした。しかし戦場や銃後の人々に混じり、母の背で空襲を逃れ悲惨な戦時下の同じ空気を吸っていたことは紛れもない事実です。知多新四国遍路道も開設二百年を迎えています。戦争で心ならずも亡くなられた幾多の方々を忘れないことが、平和な現在に生きる私達の使命と思います。八度目の遍路旅には弘法堂の前で、そんな想いの合掌を般若心経を唱えながら行ってゆきたいと思っています。 |
||||||||||
| スポンサードリンク |
||||||||||
Copyright (C) TOPページに戻る All Rights Reserved |
||||||||||