故郷

故郷を想う

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故郷には童歌と山河が織り成している♪


加齢なる望郷◇本当の故郷探し
カミさんの故郷

IMG:Aquarius' Home Page様
故郷と聞いて想い浮かべること、懐かしくて嬉しくてほろ苦い、時には想い出すのも辛いこともある。その人それぞれの思いが交錯する。時折考えることがある。「本当の故郷はどこなんだろう?」生まれも育ちも全てが同じ地域なら、そこ一本で故郷が定義できる。しかし過去に生活基盤が幾つもあり定義もできない方も見えます。親の転勤や家庭の都合で住まいも変わり、出生地・育まれる地・教育就学・就職地など自分の都合に関係なく転居する場合があります。住まいを中心に故郷が形成されて行くのです。

私はこう考えています。自分の今日まで生きてきた人生で比較的永く住み、最も強く印象に残っている地域が故郷ではないかと思います。物心付いて印象に残っている幼い時代の記憶は、たとえそこに居た期間が短くても、断片的ですが鮮明に想い出されます。歳を経てからの記憶は曖昧ですが幼児の頃の記憶は繊細で強いのです。動物の世界でも目の見えない頃に親とはぐれ、人や他の動物に育てられ最初に見えたものを親と意識すると聞きます。最初の記憶が潜在意識に入るのです。

生まれ故郷と言われる場合は出生地であり、物心が付いてない頃に離れても、家族と一緒にいたところです。そこが国内であれ海外であれそうと思います。同世代には朝鮮・台湾・中国生まれ、樺太生まれも居ますが、その方たちは出生地を生まれ故郷と言っている。冒頭に記述しました出生地と生活地がずっと一緒の方の中にも、「時には一度違う土地に住みたかった」と贅沢を言われる方も見えるでしょうが、故郷がそこに在り、一ヶ所なら本当に幸せです。

他府県から就職で来られ勤務地での生活基盤が永く、定着すればそこが新しい故郷ではないでしょうか。子供達にはそこが故郷です。当人には一般に良く使う第二の故郷です。それぞれの方がそれぞれに定義しても自由です。第三も第四の故郷があっても不思議では無いのです。数年住み好印象や懐かしさで、時折行きたい帰りたいと思い出す場所が心の故郷なのです。これから先も故郷は増えるかも知れません。また都合で移転があるかも知れないからです。
転勤族の家庭に生まれれば、比較的印象に残るのは同一地域で就学を終始したところが多いものです。幼稚園、小学校、中学校、高校と住まいに近い地域の学校に通ったところ、友が多く青春の地、酸いも辛いも経験したところ、幾ら変貌が激しくてもそこに行けば、たちどころに当時の情景が戻るところです。「あぁー、死ぬまでに戻りたい」

あそこはどうなっているだろう、友や近所の人達は今どうしているのだろうか?」と切ないほどの郷愁で夢でも涙が溢れます。決まって何十年前の風景とその時のその人の顔が想い出されるのです。また親や兄弟姉妹や親類が未だに住んでいる、自分が生まれ育ったところ、印象深い思い出の地なら完全に故郷です。豊かな思い出が夢に出てくるところです。

私は転勤族走りの家庭に生まれました。藩の時代の武士や明治の頃から銀行員や公務員(当時は軍人家族も含む)は転勤がありました。その頃の世間の会社工場はどうか存じませんが、父は三菱名古屋航空機で海軍機の電気配線技士でした。兵士として開戦から仏印(ベトナム)駐留でしたが、軍需生産に必要な技能者として帰還させられたのです。

熊本に昭和18年(1943)に完成した健軍の三菱重工業熊本航空機製作所に翌年配属されました。祖父・祖母と親子5人でした。勿論、乳飲み子の私も含まれていました。健軍町の社宅での生活は昭和23年までですが、私が物心が付いた頃の記憶は熊本市健軍町の社宅の周辺です。それが生まれ故郷でない最初の故郷です。父は航空機から一転して鍋釜生産の工場に見切りを付けました。

 写真:1948・03:水前寺公園
1945年(昭和20年)5月24日夕刻、現在の熊本赤十字病院辺りに有った健軍飛行場から、純粋に国を憂い家族を守るため、私達の社宅上空を飛び沖縄に飛んで行った「空挺特攻義烈隊」の勇士に合掌。7/1・2の工場と社宅への空襲、長崎の原爆、敵上陸の噂で町中大騒動の様子、工場の沖縄女子挺身隊や生産物資不足のこと、終戦の4日後、「負けたか!」と落胆して亡くなった祖父のこと、両親はよく話をしたものです。熊本の空気を知るのは母親と背中の妹と私だけになってしまった。すべて人の世は儚く過ぎて行くのみです。 
見知らぬ生まれ故郷へ帰って来て、60年近くになります。家庭の都合での転居も数度ありますが、同じ行政市区ですから生まれ故郷と育って生活してきた地域は同じです。しかし幼児期に記憶した風景や生活を忘れることが出来ません。歳を取れば取るほど「もう一度戻りたい帰りたい」が日増しに強くなります。その土地の水や空気や食物のDNAまでが入り込んでいるのでしょうか。甲子園で熊本の球児が出たり芸能人がTVに出たりすれば、意識する前に応援しているのです。

        熊本城
かって高校野球で地元:中京商業が城戸投手を擁する熊本代表:済々黌高校と対戦するのが嫌だった。何時もねじ伏せられ勝てない悔しさと、反面では熊本代表が試合に残る嬉しさが同居しているのです。昭和33年選抜決勝は両方の応援で辛かったが済々黌優勝は素直に喜べた。

昔から旅に出る場合「水が変わるから気を付けなさい」と良く耳にします。「年寄りの冷や水」もそうです。特に年寄りと幼児には空気と水が変わると、身体に変調が来ると経験から思っています。
学術的な因果関係は知りませんが、空気や水が生活地域の免罪符のような気がします。この地に戻った1948年、兄たちは小学生、私は5歳、妹は2歳でした。親や兄たちは元気でしたが私と熊本生まれの妹の体調が変わったのです。私は夜尿症や脱腸になり、妹は原因も判らず長く床に伏せ、蒼い顔で痩せ細って行くばかりでした。2年ほど変調が続きましたが、家庭での養生が当たり前の時代でもありました。この歳になってもそれが水と空気が原因だったのか確信できないのです。

世の中には転勤で家族が犠牲になる場合が多いです。特に子供たちは自分の意思外に生活圏への同化を強制されます。友達も学校も思い出も束縛されるのです。しかし逆に考えれば多くの故郷や、違った地域の友達が得られ異なった文化も知ることが出来ます。それが無形の財産にもなっています。良い方に考えれば素敵です。その地域の「空気や水」が身体に影響して変調することを、私と同じように経験された方もきっと見えるはずです。転勤の際は幼児やお年寄りに気配りを願うばかりです。
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contents    
□ 趣味と家族をつなぐ道〜TOP
□ セカンド・ライフと趣味について
□ 健康に通じる趣味
□ ウォーキングは最適!
□ 中高年の病、忍び寄る影
□ 腎結石:高中性脂肪血症
□ メタボリック:内臓脂肪症候群
└ さよなら:メタポリック
 高血圧について
└ 高血圧と食事について
□ 仲間と家族は宝物もの
└ 趣味のオートバイ
□ パソコンは楽しい
□ インタ-ネットは時間を決めて
□ 映画これからも永遠に
□ 陶器の里めぐり
□ 散歩道の探訪
□ 地域の移変、東海道・鳴海宿
□ 郷土史:桶狭間の戦い
□ 古戦場を辿る道
□ 古戦場は絞りの町
□ 薩摩義士の苦闘・宝暦治水
 木曽三川と治水の歴史
└ 船頭平閘門と輪中の郷

□ 写真の世界の変遷
□ 写真フィルムの整理
□ アルバムの編集
□ 皆で絵を描こう
□ スケッチのすすめ
□ パソコン画のすすめ
□ PC画・スケッチ&デジカメ
□ 草花との触れあい
□ 自然薯掘り、滋養強壮食
□ 園芸と菜園作り
□ トンボと野鳥たち
└ 水辺と観察場:写真
□ 花桃の里を訪ねて
 花桃の里と南信・信玄塚
□ 
古民家、北から南
└ オニハス見つけた
□ 田舎暮らしにバイオトイレ
└ 田舎暮らしに(その2)

□ 新美南吉とごん狐の里
□ 故郷を想う、懐かしさ
□ お遍路道を歩く
□ たちあおい ハナショウブ
□ ハクレンボク  ベゴニア
□ 大金鶏菊 日日草
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ハスの花(写真)
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