薩摩義士

薩摩 義士

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薩摩義士、艱難辛苦の宝暦治水!



薩摩義士、もののふを讃え偉業を後世に伝えよう。


江戸時代の大動脈、東海道は江戸から京都までの道程53次の宿場で構成されていました。(更に大阪まで4次を加え東海道とも言われる)難所も多く旅人や参勤交代の諸大名は物心両面で負担を強いられた。とりわけ、山では箱根と鈴鹿越え、海は浜名湖と七里の渡し、川は大井川と(木曽三川は桑名〜熱田の海路)苦行の難所でした。特に薩摩などの西国外様大名に参勤交代は藩財政に影響を与え、幕府が狙う藩の肥大化防止策に効果も大きかったろうと推察出来ます。

木曽三川渡河は東海道開設1601年(慶長6年)には幕府防衛政策で内陸路から海路(七里の渡し)に定まり、桑名〜熱田の宿場が正式になっていったのです。「※船の苦手な者、女・子供連れは熱田からの陸路の脇街道:佐屋街道を利用した」。江戸期の後半、熱田・桑名の繁栄は街道一とかで、旅籠の数でも両方で500軒に近かったとも言われている。私は桑名が好きで年に一度は訪れます。今は国道一号線・バイパス・高速道路と簡単に木曽三川を渡れます。三川:木曽川、揖斐川、長良川と桑名に興味を持ち始めたのは古い。薩摩義士を知ったのもその頃です。

桑名城跡北の六華苑、明治は遠くなりにけり。日本近代建築の父と言われるジョサイア・コンドルの設計。建物が和洋折衷作りである。
東海道が開かれた1,601年に要衝の地、桑名の初代藩主になった徳川四天王・槍の本多忠勝。生涯51余の合戦に参加も無傷であったと言われている。

東海道は宮の宿から海上7里(約28Km)の到着地、桑名の渡し場があった場所。これよりまた陸路の東海道が続く、また伊勢神宮への始まりの一の鳥居が建てられていた。揖斐川河口・河畔の桑名城に隣接している。

昭和25年ごろ見た日本映画に印象に残った映画があった。題名も知らないが子供心に悲惨な情景が伝わりました。それは豪雨の中もっこを担ぎ、ひたすら河川の工事に邁進する武士たち、あるものは投獄され切腹し果ててゆく内容でした。幼かったのでそれが宝暦治水工事の薩摩の人たちの映画かは断定できません。思い過ごしかもしれず、色々古い映画を調べましたが未だに判りません。
しかしずっと心に引っ掛っていました。※1939/9・大都映画(「薩南大評定」前後篇)もあるが?どうも違う?

大昔から木曽三川は度々洪水に見舞われ、堤防が決壊し多くの人が災禍を被っております。木曽三川の歴史は、御囲堤、輪中、宝暦治水など洪水との闘いの歴史です。一説では宝暦治水で完成した堤が川底への土砂の堆積を促したため、洪水の回数がむしろ増加したとも指摘されている。

明治になって、オランダ人技師ヨハネス・デ・レーケらにより近代土木による三川分流工事が完成し、現在の木曽三川の原形がつくられました。しかし現在の世でも伊勢湾台風や1976年9月の長良川決壊が記憶に新しい。その河口に位置するのが桑名です。七里の渡し跡は今でも残っています。

1962年、向かいの
お爺ちゃんが故郷に日帰りするのを手伝いました。その地はヨハネス・デ・レーケにより工事を受けた、愛知県海部郡立田村(現、愛西市立田町)の船頭平閘門の近辺でした。明治20年から45年にかけて木曽三川下流部の改修が行われ、おじいさんも工事に参加したそうです。

当時の話と薩摩義士の話(薩摩弁、示現流なども)も聞くことが出来たのです。それ以後、木曽三川公園、千本松原、85名の薩摩義士が祀られている治水神社は数度お参りしております。地元にも濃尾平野の恩恵を受けている私達にもそれが義務のような気がします。

とうとうと流れる大河や千本松原、北方には墨俣一夜城などの史跡、桑名は六華苑周辺など歴史探訪に最適です。初めて吉之丸(城跡)に出掛けた時、何の気なしに駐車したのが海蔵寺の寺前、何と薩摩家老・平田靱負公のお墓があったのです。

驚きと共にお導きがあったのかなと感じました。義士の墓所は14ヶ寺に埋葬され、ここには平田靭負公他21基の墓石が現存し、市指定史跡となっています。


宝暦治水工事詳細
拡大できます
桑名・七里の渡し場隣接の公園にあった。
明治の三川分流大工事の全容を現す看板
国土交通省・木曽川下流工事事務所とある。
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治水大工事・国に帰れなかった薩摩義士を悼む

宝暦治水は江戸時代の幕命により薩摩藩が行った治水工事。濃尾平野の治水対策で、木曽川、長良川、揖斐川の分流工事。約258年前の宝暦4年2月27日に着工し、宝暦5年5月22日(1754年から55年)に完成しました。水害に苦しむ人々の為に、 薩摩藩士が艱難辛苦の末に日本最大の治水工事を行った。この工事による治水効果は3河川の下流地域300か村に及んだとされる。

しかし当時の土木技術や、人力のみの工事では上の地図のように数ヶ所の締切工事でした。完全に三川分流がなされたのは明治になってからである。当時の薩摩には大変な遠方であり、そして全く領土と関係なくゆかりもない土地での工事。現代風に言えば海外土木工事であった。資金、連絡手段もない時代に、薩摩藩士が命懸けの気の遠くなるような工事を命じられたのです。

この背景にはお庭番の情報で薩摩が中国・琉球との密貿易などで莫大な富を得ている噂、その力をそぐ狙いもあったと見られる。他に関が原の報復との説もある。薩摩は関が原で石田三成の西軍に組み、敗戦の最中、敵中突破の敗走を成功させた経緯がある。さらに御三家尾張との縁談失敗もありました。吉宗公の姫君との縁談など資金の浪費で藩の財政破綻を虎視眈々と狙われていた。

薩摩は弱体化したい目の上のタンコブであったのです。947名の人員と工事費は予算の約2倍の40万両(現在で換算すれば300億円)全て薩摩持ちの外様大名への強藩財政疲弊政策としての御手伝普請だったのです。工事期間中に幕吏(幕府の代官:吉田久左衛門他37名、「笠松代官所」及び美濃石津郡の多良水行奉行所:高木三家から29名)が加わって監督や指示をした。

彼らからの度重なる嫌がらせや妨害工作が有り、一部・地元民の非協力も重なった。幕府に対する抗議の割腹自殺者は51名にのぼり病死者も33名を数えた。完了検分後に、総奉行であった平田公は予算超過の責任を取って自刃している。艱難辛苦の内容はHPで「宝暦治水、薩摩義士」でとても詳しい解説があります。是非ご覧になって下さい。

幕府からの報復を怖れたか?今風に言う報道管制が敷かれたのだろうか?宝暦治水の惨状を知る薩摩の民は意外に少なかったとも聞く。近代の鹿児島県民の大多数の人たちがこの歴史をいつ頃知ったのだろうか?維新までの114年間の臥薪嘗胆の遺恨は本当に続いていたのか※
それは真実、戊辰戦争で打倒幕府への原動力になったのだろうか ちなみに膨大な薩摩の借財は、その後20年で全返済を行っている。

その膨大な大阪商人への借金返済は薩摩の特産品である琉球のサトウキビで作る砂糖が充てられた。薩摩藩の砂糖の取立ては苛烈の極みだったとか。本来は当然、幕府が恨まれるべき処だがその深い遺恨は子々孫々まで薩摩藩に向けられたと言う。封建体制が崩れ行く最中、薩長軍は戊辰戦争で会津藩などに酷い仕打ちを行い、現在まで火種を残している。態勢維持をするため武力や権力での強権発令は止め処がない。立場に正義の表裏は付けられない。


 明治の三川分流工事は長良川と木曽川をはっきり分けた背割堤工事、揖斐川と長良川を分けた工事により、完全に三川は単独の川となって現在に至る。

勿論、洪水被害は激減した。薩摩義士に始まりヨハネス・デ・レーケさんのお陰でもある。明治新政府が幕藩体制の弊害から脱し、挙国一致の大工事を実現させたのは偉大なことである。

関連ページは最下段からどうぞ! 戦後の大水害も記憶に新しい!災害の起こらない治水計画は常に、想定内にして置くべきである。タワーから河川を見て思った。

明治の工事に参加した今は亡き、爺ちゃん達も凄かったと思うばかりです。 
薩摩背割堤を眼下に見る!国営木曽三川公園タワーからの眺望
木曽三川の治水、明治の改修:船頭平閘門と輪中の郷
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