南信州 桃源郷

南信州の桃源郷

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花桃の里めぐり

花桃の真紅、純白、薄紅色が一本の木に花となり染まる!

南信州桃源郷の花桃の姿を撮りました。ご覧になって下さい。赤白ピンクの三色に咲き分ける花桃、この花の原産はどこであるか諸説がある。森鴎外がドイツ留学の帰途、舞姫「エリス」を忘れなきため持ち帰ったとか?電力会社社長であった福沢桃介(福沢諭吉の娘婿)が、ドイツのミュンヘンで華麗に咲く三色の花桃を見かけ、その美しさに魅せられ3本の苗を購入し帰国、木曽の発電所庭に植えたのが始まりとも言われてもおり、凡人の知る由もあらず。兎に角、花を見て怒る人はまずいない、美しい花を愛でれば心が洗われます。南信州の桃源郷である月川温泉の花桃の里の最盛期は 4/下旬〜5/上旬(満開の時期の差が有、ほぼGWは最盛期です。)

”昭和の日”前後のGWは午前10時ぐらいで駐車場は満杯になる。朝早く出掛けること!渋滞の怖れのある高速道路を利用しないことである。伊那谷と木曽谷を結ぶ国道256号線は「はなもも街道」と呼ばれ、街道沿いに数千本の花桃が植えられています。 清内路村での花桃は大正時代に始まり、本格的に植樹されたのは戦後、そして近年30年余りで村人達の丹精の結晶が花開いたのです。 清内路村は5月3日から10日が見頃です。この先には中山道の名所、“「夜明け前」の木曽路はすべて山の中”文豪「島崎藤村先生」の馬籠宿、江戸時代の街並みを今も残す妻籠宿があります。

南信州の桃源郷と近在の歴史の地と自然の景観を眺めながらのウォーキングやドライブにはお勧めのコースです。下左は人気の無い北側の集落から見下ろした桃源郷!!お土産屋さん・苗木を売っている店があるメイン会場の駐車場横の道を登って行けば絶好ポイントがあります。車でも行けます。廃校を少し過ぎ登ったところです。元学校は児童館になっています。散策には最高!もうカエルが鳴いており田起しの季節でもある。この時期が済めばまた喧騒の全く無い村に戻ります。しかし花の咲くここまでの管理は大変であったろうと改めて感じてしまいます。
年々、クチコミで知られて行き、観光客が多くなっているそうです。四月に入ると当HPは「キーワード・花桃でアクセス」が急増します。
赤い扶桑傘のもとで抹茶とお饅頭を頂くのも風情があり、心が和みます。ただし無料ではなく「300円」、戴くのは自由である。
GWには四国・愛媛からの旅人にも逢いました。 花桃を見たことがないそうで美しさに感嘆されていました。
川沿いに遡ってください。美しい花の波です。 清内路村、浪合、平谷村→ 紅白三色花桃の里を行く
南信州の花桃は飯田に始まり、園原、南木曽〜清内路村、浪合、平谷村と花桃前線は広がって行く。素晴らしい季節です。  

  昼神温泉ガイドセンターのマップより拝借しました。→→
季節の変化を感じて頂くのも良いかと花桃の終わった一月ごろの様子を下段に添えておきます。翌年の開花のため手入れはもう始まっています。誰も居ない美しい緑の季節も最高です。信州の5月末から6月の初夏、濃淡の緑が織り成す山景には思わず感嘆の声が出てしまいます。
下は中山道の木曽路:馬籠宿、これよりおよそ二里先が妻籠宿、そして奈良井宿〜塩尻に至る。妻籠宿手前、蘭川を渡り右手に折れれば、花桃街道を通り武田信玄公:終焉の地、阿智駒場へ至る国道256号線である。そして昼神温泉を過ぎ国道153号線に繋がる。
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※この山間にも有名な歴史が有るのです。桶狭間の戦いのおよそ13年後のことです。元亀3年12月22日(1573年1月25日)、遠江国敷知郡の三方ヶ原(現在の静岡県浜松市北区三方原町近辺)で武田信玄と徳川家康との戦いがありました。武田信玄の上洛の過程での合戦と言われ、徳川軍1万1,000(うち、同盟・織田からの援軍3,000)、武田軍2万5,000の軍勢が戦い、武田軍の勝利でした。この三方ヶ原の戦い後、遠江で越年した武田勢は余勢を駆って遠江・三河の諸城を攻め落とし、そして「野田城」をも攻略する。

攻略後の 2月、大将の信玄が発病したために上洛は中止され、甲斐国へ帰還中の元亀4年4月12日に信玄は病死した。病没原因と時期や場所には諸説がある。戦国最強の武田軍の頭領が亡くなった事実は隠さなければ成らない大事、諸説発生は致し方ない。種子島(鉄砲)で狙撃され、その傷が原因との説もある。この地方では武田信玄公:終焉の地は、国道153号線沿いの根羽村・横旗と阿智村・駒場と2ヶ所が伝えられている。今の愛知県と長野県の県境の根羽村も、同郡内の阿智村も帰還途中の山間部である。

甲陽軍鑑)では、そのねばね・上村で息を引き取ったとか? 風林火山の旗を休めた場所、そこが下の写真「横旗」である。現在では駒場(こまんば、現在の長野県下伊那郡阿智村駒場)で病没、遺骸は長岳寺で火葬されたとの説が有力である。昭和6年に佐久市の龍雲寺で信玄公の遺骨と病没や火葬を証拠だてる袈裟環と言うものが発見された由、真偽の軍配は歴史家に任せればよい。「横旗」に史跡があるのも事実、何らかの関連事が発生したから有ると思います。歴史を夢として推理すれば、物語を更に面白くします。
(甲陽軍鑑)武田信玄・勝頼二代の戦闘を中心に、軍法・刑法・戦略・戦術を記した軍学書である。

その信玄塚から僅かに南下すれば、長野県内のすべての樹種を含めてのNo.1の巨樹。スギでは全国第6位にランクされる月瀬の大杉(樹齢:約1,800年:高さ・約42m:幹回・約14m)がある。弥生後期・卑弥呼の時代からの古巨樹であるのですが、今でも旺盛に茂っている。見事さは必見に値する。 
国道153号線で判り易いところは、道の駅「平谷」です。温泉も併設され広い駐車場もある。そこから愛知県方面に南下した県境近くに下の写真の名所があります。花桃や水引き見学、長岳寺と併せ立ち寄ることをお勧めします。
旧道・国道153号線上「横旗」信玄塚が近くに有ったと謂う 武田神社・最奥の宝キョウ印塔はおよそ340年前に建立
※この信玄塚沿いの国道は(特に旧道との交差地)死亡事故を伴う大事故が多い。平谷村境から根羽の中心に掛けて勾配が強く信号機もない直線のため、予想以上の高速になり重量物積載の車両など制御が効かなくなる。見通しも良いためか、一般にスピード超過の車両が殆どである。頻繁にネズミ捕り(取り締まり)が必要なのと、洒落で50キロで音楽の聴ける道路にし、宣伝して名所にするのも減速効果を高めるかも知れない。

近くの稲武〜上矢作間には「どんぐりころころ」が聞こえるトンネルがある。道路に間隔の異なる細い溝が横状に沢山刻まれており、50キロ走行で無いと童謡には聴こえてこない。最初に経験した時は驚いた。真面目に速度規則を遵守していた証拠です。それ以来、私は数回、態々聴きに出掛けている。知っているからこそ規定の速度を守り、メロディーを楽しんでいます。そんなことが速度低減にも現れることと思います。
人と比べても、確かに大きい!(2007/08/16:現在の姿)
月瀬の大杉」 幾多の伐採の危機を乗り越え今日に至る。縄文杉、杉の大杉(高知)を除く本州では4番目の巨木です。
下の写真は名古屋市東山植物園入口にある屋久島・縄文杉の原寸大のレプリカです。大きさを比較して見て下さい。
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