新美南吉 ごん狐

新美南吉とごん狐

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新美南吉とごん狐の里は童話の故郷です!
愛知県は知多半田・郷土の童話作家・新美南吉の故郷へ

我が家の玄関を出て、小学校四年生の教科書に載っている童話「ごん狐」の作家、新美南吉さんの生家の玄関までは自転車・名鉄・徒歩で1・5時間で行けます。そんな近くに数多くの童話・小説・俳句・童謡で有名な「ごん狐」の故郷があるのです。もう5回訪れています。新美南吉さんの童話を知ったのは30年ほど前、幼かった子達が眠る時間になると童話を読んでやりました。5・6歳まで毎晩でした。時にネタが無くなったり、面倒になると話を即席で作って読んでるふりをしたものです。

幼い子供にも手抜きは判ります「お母さぁんーお父さんねーお話してくれない」と眠りません。そんなことで仕事帰りや休日は本屋さん通いです。色々の童話絵本や動物図鑑、魚図鑑を買い読み聞かせました。まともに読めばすぐ眠りに入ります。絵本を読んで聞かせることは本当に大切です。子供たちも図鑑などをぼろぼろになるほど大切にしていました。本屋さんで絵本を色々見ていたら、ユーモラスな狐の挿絵が印象の一冊を選び購入、それが新美南吉さんの「ごん狐」との出会いでした。

南吉さんは私の父の半年後の同い年、私の誕生月は亡くなられた年の半年ほど後、そんなことにも親しみを感じています。亡くなられたのが29歳、戦後暫くまで不治の病だった結核が原因です。父達のように戦地へは行かなかったようです。その年齢でも残した作品は数多く、未だ読んでいない童話も一杯です。故郷の半田は三河湾にも繋がる交通の要衝で昔から海運・醸造業など産業が盛んで今も続いています。半田には5年ごとの「山車まつり」も見られます。万博でお馴染の山車が多く出てきます。

新美南吉さんの童話にも登場する彼岸花が「ごん狐」の矢勝川に二百万本植えられています。春は半田経由での知多半島の海、秋には矢勝川の彼岸花が楽しめます。新美南吉さんゆかりの場所やコースがあり、新美南吉記念館も充実して全国から親子連れの見学も多いそうです。ここで「ごん狐」のお話や南吉さんの生涯、童話の故郷巡りをほんのさわりだけ紹介します。海外や国内の名所の旅行記ホームページに遠く及びませんが、郷土近郊の誇れる名所を紹介することは幸せです。満開時の彼岸花の堤は本当に綺麗です。

毎年開花の時期が前後して満足な日に恵まれない時もあります。矢勝川の土手も1990年頃は雑草が生い茂り土手道も埋もれていたそうです。南吉さんと幼い頃、この川で泳いだ想い出のある岩滑の小栗大造さん(当時・新美南吉顕彰会広報部長)が、お一人で雑草を刈り土手を整備しながら根株を植え始めたそうです。やがて有志も増え今日の彼岸花の咲く堤となり、多くの人々の心を癒しています。小栗さんはビルマのインパール作戦などで多くの戦友を亡くし、その供養の意味を込めての発願でもあったそうです。

私の伯父もビルマ従軍で終戦時は英軍の捕虜、病のためインパール作戦部隊から外され紙一重で帰還ができた。援蒋ルートを壊滅させる作戦が熱帯の山岳、英印軍の猛攻撃にさらされ、飢餓とマラリヤ・赤痢などの病魔に苛まれての退却で地獄の戦場でした。泥濘の道なき道には数万の兵士が死屍累々、その退却路は悲惨で後に「白骨街道」と呼ばれた。ビルマ戦域軍人・軍属の犠牲は164,500柱、寡黙な伯父が酔った時、ふと呟いた戦場の話を想い出す。彼岸花は平和への鎮魂、訪ねたら土手の地蔵さんに合掌しましょう。 
                                      


生家の玄関入ル右側に掲げてある写真

手前が継母の下駄屋、隣が実父の畳屋でした。
傾斜地に建つ家は裏側が階下で台所と狭い一間がある。
実母「 りゑ」の里、新美家・現在の半田中央インターに近い
愛知県知多郡半田町(現在の愛知県半田市)岩滑(やなべ)で1913年(大正2年)7月に生れる。もうすぐ生誕100年になる。本名は渡辺正八。そして1943年(昭和18年)3月、結核のために逝去。童話作家で教師でもあり早世した宮沢賢治に似ている。

早世のため作品数は少ないと言われるが、童話の他に童謡、詩、短歌、俳句や戯曲も残しており、新美南吉記念館の展示品や図書室の関連蔵書を見れば決して少ないとは思わない。南吉は幼き頃から親しんだ半田の自然と動物をこよなく愛していた。

岩滑(やなべ)周辺の貧しくも優しくひたむきに生きる人々を慈愛の心で見つめ、その生活の中から拾い上げた逸話や老人から聞いた素朴な民話を、包み膨らませ脚色し優しい筆致で味わい深い童話にしています。国民的童話作家とも言われる所以です。


4歳で実母を亡くし6歳から継母と暮らす。8歳の時、実の母方の継祖母「新美志も」の養子となり、新美正八と改姓。しかし寂しさの余り、5ヶ月ほどで新美姓のまま実家に戻る。1926年、旧制愛知県立半田中学校へ入学、2年後童謡や詩の投稿を始める。

1931年、岡崎師範学校受験、体格検査で不合格となる。同年4月、愛知県知多郡半田第二小学校の代用教員となるが、8月には一身上の都合で退職している。 この年から翌年初めに童謡と童話「ごん狐」を文芸誌【赤い鳥】に掲載します。

1932年4月、東京外国語学校(現・東京外国語大学)英語部文科文学に入学。1934年初め病魔に襲われる。1936年卒業・就職も病優れず故郷・半田に帰る。1937年4月、知多郡河和小学校の代用教員となるが7月には体調不良で退職。

9月に杉治商会(家畜の飼料製造販売)鴉根山畜禽研究所に入社。この時期が一番辛かったと述懐している。1932年4月、安城高等女学校の教員となる。英語、国語、農業担当。1941年、【良寛物語 手毬と鉢の子】(学習社)を初めて刊行する。

1942年10月、初の童話集【おぢいさんのランプ】を刊行する。1943年1月、病状悪化(喉頭結核)。2月には安城高等女学校を退職。痛みと戦いながらも生家で懸命に執筆活動をしている。3月、逝去。享年31歳(29歳で没)。9月、2冊の童話集が刊行。


半田:岩滑(やなべ)を訪れば新美南吉記念館のほか、彼の実家や作品ゆかりの場所を巡るウォーキングコースも作られている。時期は百万本の彼岸花が咲く矢勝川散策をメインに9/21から10/初めが最も良いが、新緑の春も素晴らしいです。

南吉さんの作品は戦後人々が落ち着き始めた頃から名声が高まってきました。郷土の童話作家の偉業を尊び、多くの史跡や関連先を管理保存されている半田or岩滑の方々を尊敬いたします。
 
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半田市へはとても交通の便が良く、特に記念館に面する道路は常滑の焼き物の里や中部国際空港に直通しています。常滑にはソニーの創業者・盛田さんの盛田酒造もあります。

知多半島は温暖な気候で海の幸にも恵まれた土地柄です。三河湾側の半田には「ミツカン酢の里」国盛の「酒の文化館」や山車のある「市立博物館」もあります。伊勢湾側の常滑空港や焼き物の里の見学も含めれば行楽の計画には便利です。


鉄道:名古屋駅から私鉄・名古屋鉄道の名鉄河和線で(急行着駅の住吉町駅or知多半田)で降り、そのまま散策でもいいですが普通電車で半田口駅まで戻れば生家周辺に近くなります。駅には「南吉のふるさと・半田」のパンフレットが置いてあります。

車では名古屋高速か伊勢湾岸道から知多半田道路と経由して半田中央インターで降りてすぐ近くです。(空港は反対方面)
街や村の開発での変化は昭和30年代に始まります。半世紀の経過はご多分にもれず、ここ知多半島も埋め立て港湾工事、新道路、鉄道、愛知用水敷設、住宅開発で便利になりましたが白砂青松の浜や豊饒の美しい海、青々とした自然の多くを失っています。しかし都会に比べればまだ自然が残っている方です。

自動車も無きに等しい昭和20年代前、職で出てはいたが大方の人は地縁・血縁の地と集落から離れることは少なかった。地域以外を知らなかった。だから故郷への思い入れはとても強かったのです。都会を知る南吉さんも同じ想いだったと思います。
矢勝川の彼岸花と権現山、この土手の地蔵さんに合掌タッチ
左の写真:第六回・はんだ山車まつり
岩滑(やなべ)の山車にはごん狐の刺繍があります。

ごん狐の住みか権現山


記念館とデンデンムシノカナシミ碑
「ごん狐」の舞台になった中山にあり、観覧料:大人210円(中学生以下無料)で内容が充実、周辺の環境に合わせ地下構造の記念館です。屋根が芝生に覆われ童話の里の風情を感じます。南吉さんの関連書やジオラマ模型が展示されています。


久し振りに読んでみました。何回も読んでいるので空覚えです。これなら孫にも読んで聞かせてやれます。この童話は結末が悲しいのですが、子供への教えにはとても内容が素晴らしいです。イタズラ小ぎつねの悪ふざけがとんでもない方向へ進みます。

良いことだと思ってしたことが相手の迷惑になり傷つける。善意が相手に伝わらず結局は悲しい結果になって終わってしまいます。意思疎通、情報受発信の難しさ大切さをを語っています。うっすら涙を浮かべて聞いていた子供たちの姿を想い出します。




南吉さんが小さい時に、村の茂平じいさんから聞いたお話です。中山(今の記念館のあるところ)の南、権現山の一人ぼっちの小狐 「ごん」 は、森の穴の住まいから村に出て来ては、いたずらを繰り返していました。 ある雨上がり、村の兵十が漁をしているところを見て、びくに入ったうなぎやキスをつかみ出しては川へ投げ込むいたずらをしたのです。

しまいにウナギを口にくわえたとたん、兵十に見つかり、 「ごん」 はウナギを首に巻き付けたまま逃げ出しました。十日ほどのち、 「ごん」 は葬式に出くわし兵十の母親が死んだことを知りました。 その晩、「ごん」 は穴の中で考えた。あのウナギは、息子の兵十が病気の母に食べさせようとしていたのかと思いました。

「ごん」 は、 なぜあんなイタズラをしてしまったと後悔しました。そして自分と同じ独りぼっちになった兵十に、何とかお詫びをしたいと、商い中のイワシ売りの籠から、こっそりイワシを抜き取り、 それを兵十の家の中に投げ込みました。 「ごん」 は、償いにまず一つ良い事をしたと思いました。

次の日、山でどっさり栗をひろい兵十の家に行きました。ほっぺに傷のついた兵十が「誰の仕業か?いわしを俺んちへ放り込んだんは」とぶつぶつ言っていました。イワシ売りは売物のイワシが兵十の所にあるのを見て、さては兵十が盗んだものと思い、 兵十をぶん殴りなぐり怪我を負わせたのです。

「ごん」 はしまったと思いました。持ってきた栗をそって物置の入口において帰りました。これは何としても償いをしなければと、それからは毎日森で栗を拾い三日目にはマツタケを持ってゆきました。月のいい晩、加助と兵十が「不思議なことがあるんだ、誰か知らんが栗やマッタケを毎日くれるんだ」「そりゃあ、神様のしわざだぞ」と話し合っているところを 「ごん」 は見ていました。

加助が「神様にお礼を言うがいいよ」といい兵十がうなずくと 「ごん」 は「俺がしているのに引き合わないなあ」と思いました。そのあくる日も栗を持って兵十の家に出かけました。しかし家に入ったところ、姿を目撃されてしまいました。 兵十は、またイタズラをしにきたな。「ようし」 と、 納屋にかけてある火縄銃を取ると、「ごん」 をドン撃ちました。

ぱたりと倒れた「ごん」に兵十は駆け寄り、家の土間を見ると栗が固めて置いてあるのです。兵十はごんに目を落とし、「ごん、おまいだったのか。いつも栗をくれたのは」・・・「ごん」ぐったり目をつぶったまま、うなずきました。兵十は火縄銃をぱたりと落としました。青い煙が、まだ筒口から細く出ていました。    おわり

※右は自身で描いたエクセル画です。→
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