伊良湖岬 椰子の実

 伊良湖岬と椰子の実

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渥美半島・伊良湖岬の道の駅は「国民歌謡:椰子の実」の故郷

名曲「椰子の実」の砂浜が誘う!ロマン豊かな空と海の間の道の駅

伊勢湾フェリー伊良湖航路は存続しました。!
 
 伊良湖岬椰子の実の歌「♪名も知らぬ 遠き島より 流れ寄る 椰子の実一つ♪」多くの人が知る美しい旋律の名曲です。その伊良湖岬と椰子の実の謂れある愛知県の渥美半島の道の駅を訪ねます。伊良湖岬は椰子の実が長い旅路の果てに流れ着いた白い砂浜が美しい。空と海と青い丘山の織り成す景観は今日も心を癒してくれます。
名曲「椰子の実」の故郷、愛知県・渥美半島の伊良湖岬

 国民歌謡「椰子の実」が生れた経緯、心をつないだ願いの歌

明治31年(1898)の夏の朝、愛知県:伊良湖岬の恋路ヶ浜を散歩していた学生が椰子の実を見つけました。後の民俗学者・柳田国男でした。当時、恋人と死別し肺を患い療養中の詩人は友人の作家・田上花袋の知人、渥美半島出身の挿画家・宮川春汀の紹介で 、村の網元の家で二ヶ月余りの滞在の途中を過ごしていた。(伊良湖の7月から9月は椰子の実が漂着することがあるそうですが実際に流れ着くのか?と昭和63年から田原市が金属プレート付きの椰子の実を石垣島沖で投入している。少ないが漂着しています。)

拾った椰子の実に驚きその話を東京に帰って島崎藤村に語ったところ、それが素材となって明治33年(1900)「海草」と言う詩の一編として発表、翌年に詩集「落梅集」に収められました。椰子の実の叙情詩「名も知らぬ遠き島より流れよる椰子の実ひとつ・・・」が生まれたのです。許されぬ恋の道行きに力尽きた男女が、ここで貝になったと言う伝説から命名されたとも言う恋路ヶ浜、そこで見つけた椰子の実には夢とロマンがあります。時移り詩の発表から36年後の昭和11年7月、大中寅二によって曲が付けられました。

そして国民歌謡「椰子の実」は同じ年、直立不動で歌う「東海林太郎・しょうじたろう」さんのNHKの放送で全国の人々に広まり親しまれて行きました。やがて日本は日中事変から太平洋戦争と破滅の迷路を進む中、海外各地の苛烈な戦場で悲惨な思いをしていた兵士が望郷の想いで歌ったのは最後の歌詞「海の日の沈むを見れば激(たぎり)落つ異郷の涙、思いやる八重の汐々(しおじお)いずれの日にか国に帰らん」であった。それは明日をも知れない戦場での心の歌となって行きました。

中国、仏印・ビルマ・東南アジア、ニューブリテン・ラバウル、ガタルカナル、テニアン、タラワ、グアム、サイパン、硫黄島、フィリピン・レイテ、インドネシア、ニューギニア、ペリリユー、ビアクなど椰子の茂る南の国で飢餓と疫病そして「連合国軍」の苛烈な砲撃に苛まれた数百万の同胞の兵士達は美しい日本の白砂青松の海や山河の故郷を思い浮べていた。やがて火と硝煙と鉄の暴風は止んだが還れなかった兵士の多い中、九死に一生を得て俘虜生活をしていた父をひたすら待っていた子供たちの願いを込めたのも歌でした。

栗の実る秋の里を歌った昭和20年12月初放送の童謡・.川田正子さんの「里の秋」でした。それは絶望と超激な空腹の人々の心も慰めて行った。二番の歌詞では父さんの笑顔を思い出し、三番では椰子の木茂る南の島からの無事の帰還を祈っています。「さよなら さよなら椰子の島、お船にゆられて帰られる ああ 父さんよご無事でと今夜も母さんと祈ります」の”里の秋”と”椰子の実”の歌が内地と遠く離れた外地で互いに歌われていたのです。南の椰子の島の父に思いを馳せた日本の母子達を結んだのが椰子でした。

明治31年、椰子の実を見て黒潮と南の島に夢を描いた柳田国男、伊良湖を知らないで詩を詠んだ島崎藤村、昭和57年ご逝去された大中寅二さんは南の島の悲惨な状況を知り、ご自身の歌曲が戦争で傷心の兵士に愛されたことを喜ばれたと思います。東海林太郎さんが歌われた「国民歌謡:椰子の実」は世の中が落ち着いた昭和30年代にラジオの歌謡番組でよくリクエストされていた。最近、数十年振りに聴いた東海林さんの歌に白浜に寄せる波音と伊良湖の穏やかな情景が浮かんで来ました。素晴らしい唱歌です。


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伊良湖岬の道の駅、伊良湖クリスタルボルト・港の伊勢湾フェリー乗船桟橋
この道の駅はフェリーの旅客ターミナルも兼ねて折、鳥羽港、師崎港、神島、篠島、日間賀島、河和港への運航がある。館内の「やしの実博物館」は無料で半島や岬周辺の歴史風土の展示がされている。松尾芭蕉翁の足跡、伊良湖水道の案内、有名な渡り鳥「サシバ・ヒヨドリ」などの野鳥を紹介している。「椰子の実」のコーナーには歌の謂れや、椰子の実の投下漂着の解説があります。
 
「やしの実博物館」渡り鳥の剥製:9.10.11月が渡りシーズン 道の駅:夏の伊良湖クリスタルボルト
静岡以東の方が東名浜松インターを降り浜松バイパス〜白須賀〜国道24号で伊良湖港からフェリーで伊勢志摩・奈良方面へ行くのには便利。車で名古屋からなら愛知県・知多半島の師崎港からフェリーが通っている。徒歩なら名鉄河和駅→河和港から伊良湖港へ定期船がある。伊良湖港から神島へも船便がある。陸路は三河湾国定公園巡りの23号経由でも豊橋経由の259号でも良い。
伊良湖港⇔鳥羽航路:伊勢湾フェリー・存続へ 漁船と共に入港前のフェリーの雄姿です。マウスを画面に!
今回は歩き旅!名鉄海上高速船で河和港から伊良湖港へ 師崎港⇔伊良湖港:名鉄海上フェリー、いつかは家族ドライブで!
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美しすぎる伊良湖岬!伊勢湾海上交通センターからの眺望 、灯台は白い光の女神さん!

伊勢湾海上交通センターの展望台は抜群の眺望! あっ!眼下に灯台がある。※ 「灯台全景
神島と漁船が見えます。時折、名曲「椰子の実」が流れます。 美しい伊良湖水道も海の難所、操舵は高等技術が必要!
恋人達の慕情の伊良湖岬!白砂の恋路が浜、潮騒の神島、日出の石門
恋路ヶ浜から神島遠望、水道を行く液化天然ガス運搬船 恋路ヶ浜から日出の石門と伊良湖ビューホテルを望む。
初秋のウィークディはたった一組の恋人たちだけでした。 柳田国男さんはこの浜の突き当たりで椰子の実に出会った。
美しい砂丘が登れない60半ば過ぎでは膝が笑い胸がバクバク!強行で足を痛め、帰路の駅階段が堪えた。体力の衰えを痛感!
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伊良湖岬の小さな想い出!

昭和25年(1950年)に進駐軍のGIとオンリーとジープに同乗して行った初めての海水浴はこの渥美半島の向かいの知多半島の内海だった。あの碧く透き通った海の美しさは忘れられない。敗戦で日本の軍隊は解体、軍の施設が有った伊良湖周辺の海の立ち入り禁止も消えた。そして暫く伊勢湾・三河湾・太平洋が交わるこの海域では50cm以上の大鯛や大魚が多く獲れたと聞きました。

やがて社会の混乱も食料事情も緩和、皆がオリンピックで自信回復の昭和40年頃、道路の整備・舗装・交通規範の確立は後手になっていたが自動車の普及に巷は賑わっていた。そんな頃ワイワイ仲間と国道1号とガタガタの259国道を凄い砂埃を舞い上げ、走り辿り着いたところが伊良湖岬でした。人工的な美も施設も皆無、人もまばら、しかし空・海・陸の自然の美しさには感動した覚えがある。

その日に忘れられない想い出があります。今は伊良湖ビューホテルがあるが、その山の太平洋側・恋路ヶ浜の東に「岸の石門:日出の石門」がある(上の写真・沖の石門の方が有名)。その石門を道路側の崖上から見ていたところ、崖下の波打ち際の狭い浜に汐と戯れるカップルが居ました。ドライブなど未だの時代、カップルが親しく遊ぶ姿も珍しかった。興味本位の覗きの気持ちが起こらない。

二人の姿が素晴らしく映画のような情景、女性の白い水着がとても美しかった。1953年のアメリカ映画「地上より永遠に・ここよりとわに」のバート・ランカスターとデボラ・カーの有名な渚のシーンを彷彿させる情景だったからです。10代中頃に場末の映画館でこの映画を観ました。真珠湾攻撃前後のアメリカ軍の物語でしたが砂浜の「赤面の衝撃」が脳裏に刻まれています。

再訪の今回、日出の石門の浜辺にはラテン系のグループがテントを張り。露出度の高い姿で海水浴を楽しんでいました。遠い昔とは全く違う日本の昨今、世の流れ時代の変遷を感じました。石門を見下ろす小高い丘に建つ島崎藤村「椰子の実」の詩碑も綺麗になっていた。初訪の時、この碑とは草ぼうぼうの中での偶然の遭遇でした。誰も観光地を訪問する余裕も知識もこれからの時代でした。

この崖下の小さな浜↓での清楚なカップルの姿が今でも印象に残っています。 片浜十三里・静岡方面へ
恋路ヶ浜東端の日出の門から東に片浜十三里(浜名湖まで70km)が延々と続いています。この先の赤羽根海岸にはサーファー憧れのビッグウェイが満喫できる太平洋ロングビーチが広がっています。静岡:御前崎のように赤羽根の道の駅や海岸沿いには全国からサーファーが集合し、サーフボードを積んだ車が並びます。結構、白髪の混じる中年風のサーファーも見受けられ微笑ましい。
contents    
□ 趣味と家族をつなぐ道〜TOP

□ セカンド・ライフと趣味について
趣味で健康・病気も退散
□ 健康づくりに通じる趣味
□ ウォーキングで健康増進!
□ 忍び寄る病!原因は高尿酸
□ 腎臓・尿路結石で大騒ぎ!
□ メタボリックシンドローム
└ さよなら:メタポリック
 高血圧症について
└ 高血圧症の予防と食事
□ インタ-ネットと疲れ目対策
 
整体で肩こり・腰痛の治療
 背中をトントン凝りほぐし
□ はちみつとミツバチの話

□ 蜂蜜は自然の味:養蜂園
撮って描いたエクセル画
□ たちあおい・初夏の花
□ ハナショウブは浴衣美人
□ 優雅に白いハクレンボク
□ 危険な信号・大金鶏菊
□ 日日草は簡単栽培
□ あさがお&つるべ
□ ひまわりと夏休み魚とり
□ 梅雨のあじさいは陽光
□ エクセルでシェイプアート

地域の歴史&観光名所
□ 散歩道の歴史探訪
□ 旧東海道・鳴海宿と芭蕉翁
□ 郷土史:桶狭間の戦い・謎

□ 戦国歴史の古戦場を辿る
□ 古戦場は絞りの町

地域の歴史&観光名所 ?A
JR東海のリニア・鉄道館
□ 薩摩義士の苦闘・宝暦治水
 木曽三川と治水の歴史
└ 船頭平閘門と輪中の郷

写真とスケッチの趣味
□ 写真の世界の変遷とデジカメ
□ 写真フィルムの整理
□ フォトアルバムの編集
□ スケッチ絵のすすめ
□ パソコン・エクセル画とは
□ エクセルオートシェップPC画
□ 彼岸花の咲くころ・美濃
□ 絵手紙風の季節画・吊るし柿
自分に合った趣味探
□ 絵画同好会での写生と道具
□ 仲間や家族で楽しむ時間
└ 中高年・趣味のオートバイ
□ 映画の感動は永遠に
□ 陶器生産地の里めぐり

500円玉の貯金箱は缶
自然と草花といきもの
□ 植物・草花との触れあい
□ 自然薯掘り、滋養強壮食
□ 可愛いトンボと野鳥たち
└ 公園で自然の生き物観察
□ 紅白三色花桃の里を行く
□ 南信州の桃源郷と名所
□ 見目麗しいハスの花園
□ ベゴニア温室は南の風
 休暇村富士のヤマガラ


ローカルの旅に道の駅
□ ナビのドライブで道の駅めぐり
□ 日本一暑い町は美濃焼の町
陶磁器生産日本一は岐阜県
□ 
薄墨桜と根尾谷断層の地へ
□ 
農村景観日本一と巨大水車
□ 
高原の道の駅・温泉と棚田
七夕と農業と車の三河地方

 
風力発電・農業生産日本一

□ 
名曲:椰子の実と岬の灯台

天空の里に日本のチロル
暮らしの中の心の癒し
□ 園芸と菜園とプランター
□ 日本の古民家、ミニチュア化
□ 田舎暮らしにバイオトイレ
└ 田舎暮らしに環境トイレ
□ 新美南吉とごん狐の里・彼岸花
□ 故郷回帰は望郷の想い
□ お遍路道を歩いてみよう
 木のおもちゃで情操教育
省エネは自動制御 ?@ ?A

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