滝の水公園 緑区50年

滝の水公園と緑区50年

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眺望最高の公園、そして住んでる町は世界一!


名古屋市緑区と「滝の水公園」共に歩んだ50年


滝の水公園の歴史   3-1ページ)
過って滝の水公園は学校跡のゴミ処分場でした
旧制名古屋市立名古屋薬学専門学校跡→鳴海町or緑区ゴミ処分場
(愛知郡鳴海町字黒石→緑区鳴海町字黒石→篠の風3丁目) 


学校としての歩み (↓黒石の土地を鳴海の大地主が寄付)

昭和06年(1931)4月:私立愛知高等薬学校として開校する。
昭和11年(1936)4月:名古屋薬学専門学校(修業年限3年)開校
昭和26年(1951)3月:旧制名古屋市立名古屋薬学専門学校を廃止
昭和26年〜昭和34年までの学校跡の状況は古い住民か判らない。

昭和24年(1949):名古屋市瑞穂区へ新設、名古屋薬科大学となる。
昭和25年(1950):名古屋市立大学薬学部となる。(山崎川沿い)

平成2年(1990)6月17日、中京テレビ放送
「来たゾ ふるさと探偵団
緑区紹介番組内の
「鳴海町ゴミ処分場」写真を拝借しました。 
鳴海町ゴミ処分場として期間

愛知郡鳴海町字黒石・薬学専門学校跡に昭和34年(1959)の7月に鳴海町ゴミ処分場として開始、直後9月26日に伊勢湾台風が襲来、未曾有の大被害で家屋廃材・流木・ヘドロ・ありとあらゆる多数のゴミの捨て場:処分場として急遽使用される。ゴミ処分場が開かれてから後の昭和38年(1963)4月名古屋市緑区制となったが、市内及び周辺の処分場として役割は昭和42年(1967)3月の閉鎖まで続いた。 
 名古屋市緑区の誕生

昭和38年(1963)4月:名古屋市緑区制の発足(区役所は旧東海道鳴海、免許証届けは日進愛知警察まで)新区役所・警察の完成を待つ
昭和38年(1963)9月:小生、鳴海町字黒石に移住する(当HP管理人自身:2014年で51年在住となります)
名古屋市緑区鳴海ゴミ処分場より北方1.6kmに人家なし、豊田中央研究所(1960年11月)が一際目立っていた。前の道を右へ尾根伝いにクネクネ走り徳重や平針方面へ行くも悪路そのものでした。左池上 名古屋市緑区鳴海ゴミ処分場より北西を望み撮影。2・3の小山の向うに昭和37年(1962)中頃入居の鳴子団地棟と宅地分譲の一般住宅が見えます。鳴子への近道は個人所有地、封鎖時は困った。
上の写真から50年後平成25年(2013)豊田中央研究所は豊田工業大学に変わりましたが依然威容は断トツです。 53年間お疲れ様  上の写真から49年後・平成25年(2013)同じ場所から北西を望み撮影、空いた樹木の間が鳴子団地方面です。
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緑区ゴミ処分場周辺の状況:昭和38年(1963)9月

東(徳重・乗鞍・平手)西(池上方面600m・Kさん宅)南(相原郷)まで山・雑木林ばかりで人家殆どなし。北西(鳴子団地・一般住宅)北・北東にも人家は無く豊田中央研究所まで山間部。昭和39年(1964)鳴子団地竣工、鳴子みどりヶ丘造成工事中(昭和41年〜384戸)東海財務局の所有地(現・合同宿舎滝ノ水住宅:税務大学校)は造成済。悪臭・ハエの大発生・ゴミの飛散・動物廃棄・持込み車の渋滞で閉口した。捨て犬を助け(8匹)飼う、無残にも数千の雄のヒヨコの投棄は数度見たが広い黄色の花畑の様相、生きていた数十羽を育てた。現在の公園駐車場端より東へ50m(公園が南に膨らんだ辺りの道路下)は「染み出す廃液・ヘドロ・重金属」の悪臭の溜池であった。前に一つ空井戸があり、南方斜面は草の生えた休耕地(棚田)が下の小川まで続いていた。住まいの飲料水は深さ18mの井戸で賄い水質検査をよく実施しました。周辺の水質は悪いと評判だったが、どうも北側は水脈が良かったのか水質は上級の結果でした。水道管施設は昭和の後半となる。

そもそも薬学専門学校の移転は戦時中の物資の不足以外に学校内の水道水は鉄分・ケイ酸が多いため水道管が詰まり、実験に支障をきたしていたことも原因の一つとも言われています。ゴミ処理場東(神沢方面)から山水が湧き小川となって現滝の水小学校南東から現滝の水中学校東脇を経て(当時一帯は山・雑木林、畑と田んぼ)扇川に流れ込んでいる。(草生い茂る寂しい雑木林の小川がいつの間にか滝の水川と名称されていた)現在はコンクリート三面張りの用水路と成っており、鉄分を含む赤い流れは昔と変わらない。ただ良い水の情報も過去に有ったようです。公園東方の神沢地区(滝の水川の正に源流の位置)には地名・神沢の謂れか1450年ごろから暫く尾張名所図会にもある「融傳の泉」が有ったそうです。半世紀前の周辺は南東:徳重に繋がる細い山道の両脇に小高い山が連なる地域であり、当時それらしき遺跡を探し出せませんでした。ただ1970年代、神沢地区の宅地造成時(現神沢中学西方)の湧水量は北斜面を崩す勢いで有りました。

ゴミ処分場の頃、周辺は四季の自然が豊かで動植物の揺り篭そのものでした。百花繚乱の中に姫ホタル、野うさぎ、いたち、鶯など多種類の山鳥、キジの親子、秋にはアキアカネの大群にいつも遭遇した。ゴミ山前の狭い山道を南下、小高い山に辿り着く。そこは見晴らし最高の「食虫植物:モウセンゴケ」の宝庫であった。(現在の滝の水中央公園)1970年頃どこぞの大学の老教授が調査に見えていたことがあった。



そして定住から14年の歳月が流れ周辺360度域は大開発でどんどんと削られ埋められて住宅地に変貌して行った。
滝の水公園の1キロ範囲内では左:滝の水住宅北交差点の北西角、どんぐり林&右:第51号滝の水緑地は往時を偲ばせる希少地として残っている。※滝の水緑地は50年前暗い森の様相でした。滝が有ったそうで「滝の水」の発祥元との地元の話です。今は整備され板張りの通路と山道で一周できる。春は山ツツジが一杯です。過っては鶯のさえずりが聴こえ山ツツジはこの辺りには何処にも咲いていた。
いよいよ公園へ

昭和42年(1967)ゴミ処分場を土で覆う工事が始まったが、当初は覆うだけの工事だった。工事完了後暫く入り口を施錠して保留地とされていたが、ガス抜きとかゴミ山全体を安定させる手段だったのか知る由もなく公園造成の昭和60年代(1985〜)まで月日は過ぎ去る。

昭和42年(1967)〜昭和64年(1989)土盛り工事後保留・公園工事、度々自然発火発生(廃タイヤ・プラスチック・その他可燃物などの発酵ガス?)時折シンナー常習者が管理小屋へ侵入、周辺の山々に不法ゴミ投棄が暫く続き道路沿いも汚された。ゴミ山閉鎖で管理員、車の出入りも途絶えた昭和40年代、新たな陸の孤島は静かになった。

鳴海町字黒石の初期は戸数1軒、新月の頃は真っ暗闇、車など滅多に通らない。雨の夜の徒歩帰宅の最中、草葉に降り当たる音の不気味だったこと。暗さ無人を目論み馬鹿な若者が娘を騙し山道へ、娘が「助けて下さい」と一軒家に駆け込んだのも数度。道に迷ったアベ車がよく脱輪して助けたが両方とも恥ずかしく?二度と来なかった。

右上段の写真の頃、ゴミ山全体は自然発火も収まり、シンナー依存者も来なくなった。軒数も増えた町内の不安も安らぎ、山は安定の最中でした。管理小屋も朽ち、立ち入り禁止の鉄条網は錆びて切れ、杭も所々倒れて出入りはフリー状態でした。頂上は南面が平らで草も低く見晴らしは良好でした。熾烈な開発が始まる前の頃でした。

築山公園で標高74.1mは名古屋市内でも有数、今も昔も360度の眺望は最高!空も雲も夜景も美しい。初日の出参りの人気スポットです。7月の名古屋港祭り、8月の豊明などの花火見学には夜風が心地よく結構人気です。初日の出参りは2014年で51回目、越える方居るかな。

滝の水公園周辺の動き

昭和60年(1985)4月:滝ノ水中学校創立
平成元年(1989)5月:滝の水公園:開園
平成02年(1990)3月:税務大学校名古屋研修所:開設
平成02年(1990)4月:滝ノ水小学校創立:時計台が素敵!
特に平成に入り緑区南部地区は大変貌して行きました。
平成25年(2013)4月:緑区区制50周年を迎えた。

昭和55年(1980)1月6日、西南西:鹿山方面ゴミ山閉鎖:13年目

平成02年(1990)4月:滝ノ水小学校創立:公園を背に南方から撮影
平成2年6月、中京・TV放送 「ふるさと探偵団で公園取材
番組司会:千葉おさむさん&とみた純子さん・字黒石の町内会長
平成26年9月、東海・TV放送 「スイッチ」 で公園取材 
上方漫才の兵動大樹さんと撮影スタッフ、放送 11/10:AM
 この界隈には喫茶店が多いです。その中でも小さいお店ですがここをご紹介させて頂きます。「たと珈琲
滝の水公園の歴史・その2( 構造・東西南北) 滝の水公園の歴史・その3(公園内・全方位・夜景)
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